以前、私の鈴についてあるカウンセラーの先生が「この鈴は悪い人を介していない鈴ですね。」とおっしゃったそうで、なるほどなぁと思いました。
この何気ないコトバにとても共感できた。
私は、昔から古いモノ好きなのですが、デザインも値段も気に入ったモノでもなんとなく買えないモノが時々あります。
そういう気分を無視して手に入れても、馴染まなかったり、すぐに無くなってしまったり。
古くなくても、手づくりでもなんとなくモノには気配がある。
よい悪いというよりは、雰囲気というのか、人の気配のようなもの。
そういうことなんだ!と思いました。
作っている時の情熱や、手放す時の思いは気配として残るのかもしれないと。
20才の頃、古着屋さんで何気なく手に取った米海軍の制服がどうしても欲しくなって衝動買いしたコトがあります。
しばらく愛用していると、胸ポケットの穴に気がついた。
そして、その穴の中から10セントコイン(銀貨)が出てきた。
きっとお守りだったのだろう。
このコインを手に取ってみるとほっとして、それからは私のお守りになっている。
中近東あたりの手織りの絨毯には手織りと分かるようにわざと柄がずらしてあるものがあるそう。
職人さんはだんだん絨毯を作るのが上手くなって、機械織りに近付いてしまったと思うのかな?
雨の降る日にそんなことを考えていました。
鈴を作る時には良い気配をいっぱいに詰め込もうと。
クミコ